こだわりの麺づくり

創業物語

はじまりは、小さな麺茶屋から

時は明治18年(1885)、初代二階堂文左衛門は「最高に美味しい麺をつくり、旅人に喜んでもらいたい」との想いから、仙台平野の大自然の広がる宮城県登米地方の一角に一軒の小さな麺茶屋を作りました。慣れない土地で独り努力を積み重ね、多くのお客様に支えられながら、美味しいうどんを追求し続けた文左衛門。手間ひまかけて丹念に作られた手延べうどんは、次第に村と村とを行きかう人々の間で評判となり、いつのまにか店は大きくなっていきました。

明治40年(1907)には乾麺の製造業を始めます。お客様が土地の小麦粉を持ち込み、それをうどんに仕立てる仕事です。当時、登米地域は米と同じように麦がたくさん植えられていたと言います。美味しい乾麺づくりは、その登米地域の土地と風土から始まったのです。

戦災、高度成長、そして震災

昭和に入り、戦時中には小麦は配給制になり自由に麺づくりが出来なくなりました。ほとんど仕事がなくなり、店主も出征。その中でも美味しい麺を届けたいという想いを持ち、ほそぼそと技術をつないでいきました。

戦後の新しい時代では、町工場を建て本格的に製造業を開始。手延べ麺だけではなく、中華麺や焼そばなど様々な麺づくりを行うようになり、販売するお店や地域も増えました。その中でも昔から受け継がれた手延べの技術は守ってきました。更に研究を重ね、磨きがをかけ、日本全国から選りすぐりの麺の技法を取り入れ、平成の時代に入って大きな進化を遂げます。

しかし平成23年(2011)の東日本大震災のときは工場が半壊し、水道管も破裂しました。多くの方々のご支援をいただきながら、震災翌日から復旧工事を始め、いち早く製造を開始し、周辺被災地に麺を届けました。長い間支えていただいた地域の方々のため、いつか恩返しをしたいと思う気持ちをずっと心に抱いていましたが、地域を始め多くの方々に麺の提供をさせていただくことで、たくさんの笑顔と共に、二階堂製麺所の麺は浸透していったのです。

時代を越えて、世界に新たな麺文化を

震災の年の秋、地域の震災復興と人々の笑顔を願い、その味を最高の状態で体感していただきたい、その想いから創業原点回帰として、レストラン「麺や文左」を登米に開業しました。

そして令和2年(2020)、私たちの麺のおいしさの体験を楽しめる挑戦が仙台市の中心で始まります。私たちの丹精込めて作った麺をいつでもお買い求めいただけ、時にはそれを最高の状態で食べることができる、都市の中の新しい製麺所空間。日本の伝統を未来につなぎ、日本の食文化を世界とつなぎ、そして人々の美味しい笑顔をつなぐ。

食を通した「つなぐ」役割を、私たちはこの新しいお店に託していきたいと思います。